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コラム

■「近ごろ気になること」を書きとめました

「食生活」や「健康・医療」に関して、「近ごろ気になったこと」を書きとめました。「健康情報」ページとは異なり、執筆者(最下段に示す)の意見が反映されています。
食育ブームのアヤシサ

●あっちでもこっちでも「食育」

 「食育」がブームになっている。たしかに、子供の時から、「食」に対する正しい知識と習慣を身につけることは、とても重要なことである。しかし、食育は、国が法律を作ってまで強制するようなことなのかどうか、冷静に考えてみる必要があるだろう。
 平成17年6月に食育基本法が成立してから、日本全国の学校等で、食育なるモノが行なわれている。私が見聞した「食育」の中には、例えば以下にご紹介するような、いささかいきすぎた内容もあったように感ずる。
 昨年の秋に、東京のある地区で「健康づくり講演会」が開催された。その中で、H栄養専門学校の校長代理のH・Tという女性が「食育」をテーマに、約1時間の講演をした。
 H・Tさんの講演はなかなか楽しく、飽きさせないものではあったが、その中身は疑問符を付けざるを得ないものも含まれている。
 私も「おとなの食育」というテーマで、各地で講演をしている。自分のことを棚に上げて、他人の批判をするのは恐縮だが、気になったことを述べておきたい。

●手作り食品の作り手は、だれ?

 多くの日本人(特に男姓)が、食生活に対する基本的な知識や経験を持たないために、健康によい食品の選択方法や調理方法を知らずに、生活習慣病になってしまうことは事実であり、それを防ぐためには、子供の時からの食育が重要であるというH・Tさんの指摘は、その通りであろう。この点は、私も、昔から長い間、主張してきたことであり、異存はない。また、日本の食糧自給率が危機的状況にあり、農業や水産業を大切にすることを子供たちに教えるという主張にも同感である。
 しかし、コンビニの弁当を食べると、添加物を大量にとってしまうので、身体に毒を入れているのと同じことであるという論調はいかがなのもだろうか。コンビニの弁当を食べる回数をなるべく減らすほうが健康にはいい、あるいは、添加物の摂取量をできるだけ少なくするほうがいい、という主張は理解できるが、それを説明する手段とはいえ、コンビニの弁当を食べることは身体に毒を入れるのと同じであるという理解は正しくない。
 また、コンビニの弁当同様に、加工食品にも添加物が大量に含まれていることを指摘し、子供にはできるだけ加工食品を食べさせないようにしようと力説する。手作り食品が一番なのだという。手作りの食べ物を子供に食べさせること自体は、私もけっして反対ではないのだが、ではその「手作り食品」はだれが作るのだろうか。
 H・Tさんの講演にはその視点が抜け落ちている。現段階で、手作り食品を勧めることは、女性の家事負担を増やすことに直結する。家庭の外に出て働く女性にとって、加工食品や調理済み食品は食卓を整えるのに欠かせない必需品である。科学的根拠を示さずに、これらの食品が健康を害すると指摘することは、社会生活をいたずらに混乱させることになる。
 私は、作られてからかなりの時間が経過したあとに食べられることが多いであろう加工食品には、適正な範囲で、保存料などの添加物を使用してほしいと思う。保存性を高める添加物をまったく使用していない加工食品があれば、それこそ安全性が低い食品だと考えている。
 「食育」からそういう事実を教えることが抜け落ちてはいないか。また、家事負担を母親に押しつけるのではなく、子供や父親も分担すべきであり、そしてそれが可能な社会環境を整えるべきである、ということを教えることこそが「食育」の基本なのではなかろうか。

●今、食育よりも優先すべきこととは・・・・

 H・Tさんの講演で、私がもっとも気になったのは「キレる子ども」対策である。
 マスコミで報道される「未成年者の犯罪」や「いじめ」「自殺」の増加に言及し、これらの原因として「食育ができていない」ことをあげている。家族揃って食事をする機会が少なく、栄養の偏りが大きいことが、青少年犯罪やいじめの原因だといわんばかりである。
 たしかに、それらのことが無関係ではないかもしれない。しかし、食育を施すことによって犯罪やいじめや自殺が減るとはとうてい思えない。根はずっと深いところにあるはずだ。食育に過大な評価を与えると、本質を見失うことになり、解決策を誤ることになる。
 ここからは、H・Tさんの講演からは離れるが・・・。
 子どもたちに対する食教育は、その子の将来の健康には多大な貢献をすることは間違いない。しかし、健康は、基本的には「個人」の問題である(もちろん、医療費の増大など、社会的な影響も膨大ではあるが)。はたして、国が法律を作ってまで、強制すべきことなのだろうか。
 ましてや、今、教育現場では「君が代・日の丸の強制」など、国の露骨な管理が表面化してきている。この動きと、「食育」という個人の問題に、法律まで作って目を向けさせる動きとは、けっして無関係ではないと推測することは容易である。
 子どもたちにとって、自分の健康はとても大事なことではある。しかし、差別のない社会、いわれのない格差が生じない仕組み、戦争の原因を排除する努力、平和で平等な世界の実現に向かう姿勢、等々について考えることのほうが重要である、ということも教えるべきなのではなかろうか。
 国が進める「食育」には、アヤシサがつきまとっている、と感ずるのは私だけであろうか。


(平成19年1月25日 佐藤達夫)

★お知らせ
平成19年2月19日、13時から、東京・飯田橋にある家の光会館で、食生活ジャーナリストの会主催の「大人の食育・子供の食育」をテーマにしたシンポジウムが開催されます。私もパネラーの1人として参加します。興味のあるかたはぜひご参加ください。