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コラム

■「近ごろ気になること」を書きとめました

「食生活」や「健康・医療」に関して、「近ごろ気になったこと」を書きとめました。「健康情報」ページとは異なり、執筆者(最下段に示す)の意見が反映されています。
中国・上海の野菜事情


 2008年11月初旬に中国・アモイの枝豆農場と加工工場を視察した(そのレポートは1月10日の【健康情報】に掲載)。たまたま、その直後(11月中旬)に、今度は上海を取材する機会を得た。こちらは、NPO法人野菜と文化のフォーラム主催の取材ツアー。2泊3日の短い取材ではあるが、日本向けの農産物ではなく、上海の市民が食べている農産物がどういうものであるかを視察できるという得がたい機会となった。
 国営の青果市場、民営の冷凍野菜加工工場、民営の農園、国営の農業試験場の4カ所を訪問したが、ここでは、青果市場と農業試験場の2カ所についてレポートする。

●上海の青果市場の取引はかなり“自由”

 初日に訪問したのは、上海市の青果の約60%を取り扱っている上海市中央卸売青果市場。東京でいえば大田市場(東京都の公設青果市場)に当たる。敷地面積は約200ムー(ムーというのは広さを表す中国特有の単位。1ムーは666uなので約13万uの広さになる。ちなみに大田市場の広さはこの約3倍)、年間140万トン以上の取扱量があるという。
 ここは卸売市場なので、基本的には、大手農家や集荷業者が青果物を持ち込み、仲卸業者がそれを購入してゆく。仲卸業者の多くはリヤカーで運搬しているため、大田市場とはまったく異なり、雑然とした何となく懐かしい景観を呈している。
 この市場での取引の方法には2つのパターンがある。1つは、農家(集荷業者)が農産物を自由に持ち込み、仲卸との間で取引が成立したら、その額に応じて手数料を市場経営者(国)に支払う「手数料方式」。2つめは、農家(集荷業者)が持ち込んだ農産物の重量に応じて、最初に市場経営者に一定量の手数料を支払い、その後は自由に売買することができる「自由売買方式」。どちらにするかは、農産物を持ち込んだ生産者が選択できる。想像していた「中国の市場」のイメージよりは、かなり自由な取引が行なわれていた。

●日本へと輸出できる野菜は一つもない

 気になる「安全性」に関する事情はどうなっているのか、副場長にあたるリー・グァンギィさんに伺った。
 ひと昔(?)前の日本と同じく、以前の上海では、農産物に求められる最大の条件は「大量に収穫できること」と「安いこと」であった。その次の段階としては、当然のことではあるが、「おいしいこと」という要素が加わる。そして2002年頃からようやく「安全であること」も重視されるようになり、農薬の検査が厳しくなったのだそうだ。
 2002年といえば、私たち日本人には忘れられない年だ。あの中国製冷凍ほうれん草事件である。中国で生産され、中国でブランチング(下ゆで)されて、日本へと輸入されたほうれん草から、クロルピリホスという農薬が残留基準を大幅に超えて検出されたのだ。
 この市場でも「あの事件をきっかけに安全対策が厳しくなった」のかと思いきや、そうではなかった。その数年前に、中国国内でトマトに大打撃を与える害虫被害が発生し、その対策として大量の農薬を使用したことがあった。おそらくはその農薬が原因で、上海市内の小学校で大規模な健康被害が発生したのだそうだ。その事件を契機に、上海では農産物の安全性検査が厳しくなった。
 上海市中央卸売青果市場では、国(中国の中央政府)の残留農薬基準では充分ではないと判断し、国の基準よりも厳しい独自の基準を設けて自主的に検査を実施している。こういう情報を提供すると、「やっぱり中国産の農産物は安全ではない」と不安になる人(日本人)が多いのだろう。でもその心配は不要だ。
 リー副場長によると、国の基準よりも厳しい上海市場の基準をもってしても、日本の基準に比べるとまだまだ緩いのだそうだ。そのため「この市場に流通している農産物で、日本へと輸出できる野菜は残念ながら一つもない」のが現状である。この市場から日本には輸出してはいないので、日本に直接的な影響を与えることはない。
 「日本に輸出するためにということではなく、上海市民の健康を守るために上海農産物の安全性を高めたい」という副場長の言葉が印象に残った。
 こちらからも「中国から日本へと輸入される農産物だけが安全性を保っているという現状では、中国産農産物を安心して受け入れることにはならない。中国産農産物全体の安全性レベルを日本同様に高めることが必要だと思う」という感想を伝えた。

●ハウス栽培野菜の育種に力を注ぐ研究者たち

 最終日には、上海市農科院園芸研究所を訪問した。日本でいえば国立の農業研究所のようなところであろうか。副所長のシン・ジュージィさんに話を聞いた。
 この農科院では、以前は葉物類(チンゲンツァイ、ハクサイ、キャベツ等)の育種を専門に研究していた。近年になって、施設栽培(ハウス栽培というほうがわかりやすいかもしれない)用のうり類(ナス、ピーマン、トマトなど)の育種の研究も始めた。
 中国で“施設栽培”と聞くと、やや違和感がある。中国の農業は−−広い大地に、前年収穫した野菜の種をまいて、自然の成り行きに任せて育てる。農薬は使い放題−−というイメージを持っている日本人は少なくないだろう。地方によってはそういうところも残っているのかもしれないが、少なくとも、上海のような大都会近辺では、そのような牧歌的な農業は行なわれていない。 ちなみに、上海は中国一の大都会で、人口は北京よりも多く、2000万人に近づいていると推定されている。そのような巨大都市の人々の胃袋を満たすためには、近代的で効率的な農業が不可欠である。
 上海市農科院では、近年になって、施設栽培用の育種に特に力を注いでいるのだという。その大きな理由は安全性だ。前項の市場では、それほど日本を意識してはいなかったが(農産物を日本へと輸出していないので)、この農科院では、事情が市場とはまったく異なる。ここでの研究は、上海市民のためでもあるが、同時に、日本をはじめとする海外への農産物輸出を意識して、厳しい日本の残留農薬基準をクリアすることも研究課題の一つとしているのだ。
 農薬を最少限にしても、収穫量を確保でき、かつ味もよい農産物を育てなければならない。そのために、これからは露地栽培ではなく施設栽培が主役になると考えているのだ。
 昨年、日本の食料自給率が39%を下回ったことが話題になった。中国からの輸入食料がなければ、日本の食生活は成り立たない。その状況から推察すると、中国の食料自給率はさぞかし高いだろうと考えられているが、実際には中国の食料自給率は約100%。
 上海の野菜消費量は年間で約550万トン。そのうち地元でまかなえるのは約220万トンなので、上海の野菜の自給率は約40%になる。不足分は上海近辺から持ち込まれる。その一方、上海の野菜は質が高いために、220万トンのうち約5万トンは日本などへと輸出している。また、30万トンは中国内の各地(主として北方)へと移出しているのだという。
 農科院では、施設栽培による良質野菜の生産量を増やし、野菜の輸出を今よりも増やしたいと努力しているのだそうだ。

●上海野菜の安全性は3段階にランクづけされている

 日本など海外への輸出を増やすためには、質もさることながら、安全性を確保することが絶対の条件となる。上海市農科院では、現在、農産物の安全性を高めることを大きな目標として掲げている。
 中国では野菜の安全性を次の3段階に分けて管理している。
1:無公害野菜
2:緑色野菜
3:純有機野菜
 無公害野菜というのは、日本の“無公害”とは概念が異なる。日本で無公害というと「野菜を生産する過程で公害を出さない」という意味になるが、中国では「食べたときに害がない」という意味になる。化学合成肥料や化学合成農薬を、健康被害が出ない範囲で使ってある野菜なのだそうだ。逆にいうと、それが確保できていない野菜も、まだ存在するということでもあるのだろう。 
 2番目の緑色野菜というのも、日本人が想像する意味とは違っている。日本で緑色野菜といえば、多くの人は厚生労働省がいうところの緑黄色野菜(ほうれん草やカボチャなど)を頭に浮かべるだろう。中国での緑色野菜というのは栄養面での規定ではなく、安全面でのランクづけだ。使ってもいい農薬の種類が限られている。中国では緑というのは安全を意味する色なのだそうだ。
 3番目の純有機野菜というのは、化学合成肥料や化学合成農薬を使用せずに生産した野菜のこと。この基準をクリアする野菜はまだまだ少ないらしい。そして、緑色野菜と純有機野菜の基準は国が定めており、中央政府からこの二つに認定された野菜には「緑色野菜マーク」と「純有機野菜マーク」をつけることができる。
 上海市農科院のシン副所長は、野菜の安全性を高めることに関して、日本から多くのことを学んだという。日本の高い技術を活かして、「安全・安心」な野菜をこの上海で生産し、日本をはじめ、いずれはヨーロッパへも輸出することを計画している。

●検査で安全性を確保することはできない

 私たち日本の消費者は中国産農産物に安全性を強く求める。それに対して“要求が過剰だ”あるいは“評価が非科学的だ”という批判を、今回の視察では(前回の視察でも)多くの中国の人たちから聞かされた。正当な主張だといえる部分もあるし、不当な言いがかりだという部分もある。食べ物を輸入する日本側の言い分もある。ただ、お互いに相手の悪口ばかりを言い合っていても発展性はないことが気になっていた。
 しかし、今回の上海取材では、中国の多くの人から「日本の人に感謝いている」という言葉を聞くことができた。「食べ物に対する安全・安心が市民の生活にとってものすごく大事であることを、日本の人から教えてもらった」というのだ。考え方だけではなく、そのためにどうすればいいのかという知識も技術も提供してもらえることは、中国の人たちにとってそれはそれは大きな利益だという。
 中国をはじめとする諸外国から食べ物を提供してもらわなければ、私たちの食生活が成り立たないことは明らかな事実である。だとすれば、「安全性を確保する」という目的で、日本へと入ってくる食品の水際での検査だけを強化して、不適合品を突き返すことにばかりエネルギーを注ぐのはかしこい方法ではない。検査で安全性を確保することはできない。生産地での安全性を高めて、安心な食品が輸出されるような環境を作ることのほうが、重要なのではなかろうか。
 今回、ごく短時間ではあったが、お隣の国の人と直接に接する機会を持ち、このことを強く感じた。

(平成21年2月1日 佐藤達夫)