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コラム

■「近ごろ気になること」を書きとめました

「食生活」や「健康・医療」に関して、「近ごろ気になったこと」を書きとめました。「健康情報」ページとは異なり、執筆者(最下段に示す)の意見が反映されています。
『ア○ヒ芸能』と『ク○ワッサン』

 3月の末から4月にかけて、編集方針も誌面も月とスッポンほどに異なる(どちらが月でどちらがスッポンであるのかはわからないが)2つの雑誌の取材を受けた。
 1つは『ア○ヒ芸能』。知る人ぞ知る男性雑誌で、カラーページのほとんどは女性の裸の写真(しかもかなりえげつないもの)ばかり。駅の売店で購入しても、子どもにはもちろん妻にも見られたくないので、網棚に置いて帰る確率の高い雑誌(統計はとってないが)である。
 もう1つは『ク○ワッサン』。知的な暮らし方を提案する雑誌で、おそらくは高学歴で向上心が豊か、前向きで積極的な生活を好みまた実践する女性(30歳代〜50歳代?)を主たる読者とする。両誌には「重なる読者」はたぶん一人もいないのではなかろうと推察できる、両極端の雑誌だ。
 この2つの雑誌の両方にコメンテーターとして登場する人間もそう多くはないはずで、私の幅の広さと節操のなさを如実に表しているともいえる(笑)。

 もちろんテーマはまったく異なる。『ア○ヒ芸能』のほうは「福島の原発事故によって日本人の食生活がどれほど危険になっているか」をオドロオドロしくかき立てる内容であり(こういう内容であることは、雑誌が発売になってからはじめてわかったことなのだが)、『ク○ワッサン』のほうは、定期的に扱っている健康特集で、「いまでも通用するのか、あなたの健康常識」という内容である。

■しつこい男性週刊誌記者

 『ア○ヒ芸能』編集部の記者(若い男性で、私が取材を受けるのは2度目)は、「食」に関する知識はあまりないのだが(それもそのはず、普段は風俗記事などを担当することが多いのだという)、礼儀正しく、電話での取材もていねいだ。

 ただ「いかに危険か」という情報だけを集めていることは明白で、私からその言質を取りたいらしい。電話があったのは、厚生労働省が食品に対する放射性汚染の暫定規制値を発表した直後だったと記憶している。記者は、暫定規制値以下であっても、絶対に安全だとはいえないはずなので、どういう食品や食べ方だと危険があるかを知りたいらしい。放射能の専門家の話はすでに聞いてあるので、食生活ジャーナリストとしての意見を聞きたいという。
 私は、「放射線汚染だけに限らないが、食べ物の安全性に関しては食品安全委員会の決定を尊重しているので、それを元にした今回の暫定規制値は尊重すべきだし、この規制値以外に信頼できる基準が存在していない現状では、この規制値に沿って自分たちの食生活を送るべきだ」と答えた。

 彼は納得せず、規制値はもっと低くするほうが安全なのではないか、大量に食べると危険なのではないか、などと質問を重ねてくる。規制値を低くしすぎると食べる物がなくなるし、暫定規制値を基準に考えたときに、それを超すことになるような大量の物を食べる可能性はまったくといっていいほどないと応ずる。
 それでも彼は「放射能汚染に関して、何か、健康を害することってありませんかね?」としつこく粘る(熱心といえば熱心)。

■アッパレ!男性週刊誌記者

 わたしはついに「あえていえばですよ」と前置きして、「食品の放射能汚染のことを気にしすぎて、食品選択の幅が狭くなると、むしろ栄養バランスが崩れる。そういうことが続くと、将来的に生活習慣病になるリスクが高まるかもしれませんね」という意味のことを伝えた。ここまで、たぶん小一時間は要したろう。

 しばらくして掲載紙が送られてきた。袋とじのグラビアページを見るのはあとにして、とりあえず自分の発言部分を読んでみた。さまざまな人の「放射能汚染食品はこんなに危険」という発言のあとに、次のような一文を見つけた。
 「食生活ジャーナリストの佐藤達夫氏は、今回の原発事故によって食品選択の幅が狭まり、栄養バランスが崩れることによって生活習慣病患者が増える危険性があると指摘する。」

 アッパレ! この発言を引き出した彼の粘り強さと、この部分だけを抜き出した彼の執念ともいうべき根性をほめるしかない。私が発言しなかったことを書いたのであれば文句のつけようもあるが、小一時間ほどの発言の中の1分ほどではあったにせよ、「発言したこと」を書いてあるのだからウソではない。それがイヤなら取材を受けなければいいだけのこと、というのが私の基本姿勢なので、クレームはつけない。
 仕事熱心でどこか可愛げのある、『ア○ヒ芸能』の記者に、むしろ私は好感を持った。

■てのひらを返す対応

 一方、『ク○ワッサン』のほうは・・・。
 「昨年出版された『食べモノの道理』が面白かった。その一部を雑誌に紹介もしたいので取材させてほしい」というメールが届いた。私はすぐに承諾の返事をしたのだが、折り返しの連絡がこない。忘れたころに「どういうテーマがいいか出してほしい」というメールが届いた。私の書籍を読んで取材したいということだったはずなので、読んで面白かったというテーマをいってくれれば、それについてお話しをするのであって、こちらからテーマを出すことはできない。いかにも「取材をしてやるから、協力をしろ」という対応だ。

 これまでの経験上、こういうケースは、まともな内容の記事にならなかったり、あとでトラブルが発生したりすることが多いので、残念ながら取材を断ることにした。その連絡をメールでしたら、てのひらを返したように、すぐさま電話がきた。
 誠に申し訳ない、お詫びをするので今回は取材させてほしい、とのこと。このときすぐに断ればよかったのだが、もしかしたら、この編集者は外部のライターかもしれないという思いが頭をよぎった。今回はのっぴきならない事情でうまく連絡がとれなかったのかもしれないし、あまり慣れていないので上手に対応ができなかったのかもしれない。
 私たち食生活ジャーナリストの会の仲間にもフリーのライターが大勢いる。いったん編集会議を通った企画の取材をしくじったら、そのライターは二度と『ク○ワッサン』の仕事にありつけないかもしれない、そんなことになったら気の毒、と思い、「一度だけお目にかかりましょう」といって電話を切った。

 はたして、池袋の喫茶店に現れたのは、ベテランの女性編集者で、名刺を見たら外部のライターではなく正社員だった。だからといってその時点で断ることもできず、取材に応じた。
 ここまでであれば、単なる「印象」の話なので、わざわざホームページで公開するような内容ではない。

■全体を無意味にする決定的な間違い

 書き上がってきた原稿は、予想通り、質の低いものであった。赤字校正には「これなら、私が最初から執筆したほうが早かった」というくらい時間がかかった。これも、マア仕方ない。たまにあることなので・・・。
 問題はこのあとだ。

 私が入れた赤字の中で、決定的な間違いが直っていないまま雑誌が印刷されていたのだ。あるグラフのタイトルが訂正されないままだったのだ。その間違いは、グラフの意味をまったく変えてしまい、そのグラフの解説をしてある項目をまったく無意味なものにし、かつ、私の記事全体の信憑性を失わせるという結果をもたらした。
 『食べモノの道理』という著書の内容もそうなのだが、私の書くことや話すことは、一般的にいわれている(多くの人が信じ切っている)健康情報のウソを指摘することが多い。「本当はこういう意味なのではないか?」というように、疑問を投げかけるものなので、不快に思う人も少なくないし、反論を掲げる人もある。1枚のグラフはそれらに対抗する有力な事実なので、きわめて慎重に扱わなければならないものである。

 この有名雑誌の編集者はそのことを理解できていなかった。
 私は、掲載紙が送られてきて、そのことにはじめて気がついたので、抗議のメールとFAXを送った。しかし、すでにひと月も経過したにもかかわらず、なしのつぶてである。編集長は、私に対してではなく、雑誌の読者に対してきちんとしたお詫びをすべきではなかろうか。

(平成23年7月7日 佐藤達夫)