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■「近ごろ気になること」を書きとめました
「食生活」や「健康・医療」に関して、「近ごろ気になったこと」を書きとめました。「健康情報」ページとは異なり、執筆者(最下段に示す)の意見が反映されています。
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厚生労働省さん、中国からの輸入食品は危険なの?安全なの?どっち?
古くは冷凍ホウレンソウの残留農薬違反や冷凍餃子への農薬混入事件、最近ではチキンナゲットへの異物混入など、中国産食品の不安は途絶えることがない。中国産に限らず「輸入食品の安全性」は確保されているのだろうか?という消費者の不安に応えるためのリスクコミュニケーション(主催:厚生労働省)が、1月29日、東京都内で開催された。
■「中国産食品だけは避けたい」という生協の(一部)組合員
厚生労働省・輸入食品安全対策室長が、輸入食品の安全性は「検査」だけで確保しているのではないことを強調。まず「輸出国対策」といって、日本へ輸出しようとする食品が、日本の法律に照らし合わせて合格しているかどうかをチェックする。それが不十分であれば、日本の専門家がその国へ出向いて指導や監視を行う。
次が「輸入時対策」、いわゆる水際対策。輸入しようとする食品等は必ず厚生労働大臣に届け出をしなくてはならず、すべての輸入食品の届け出内容がチェックされる。日本の食品衛生法に適合する物に限って、「検査」が行われる(つまり、食品衛生法に適合しない物は検査さえ受けられず、輸入もされない)。 (この「検査」については成田空港検疫所の食品監視課課長が詳細を解説した)
この「検査」に合格した食品等は「国内対策」として、各自治体によるチェックがさらに行われ、それに合格した物だけがはじめて市場に流通することになる。
このようにかなり厳重にチェックが行われているので、基本的には、日本国内には「危険な食品」は出回らない。ただし、意図的な犯罪が行われた場合には(これもめったには発生しないのだが)安全ではない食品が消費者に届いてしまうこともある。この点に関しては輸入食品であろうが、国産食品であろうが、その発生頻度に違いはない。
しかし、消費者の「不安感」はこのような事実とは、まったく異なるところにあるようだ。消費者に近い立場のパネリストとして登壇したユーコープの役員は、消費者(の一部)はなかなか冷静に現実をとらえることが難しく、生協に対するお問合せやご意見でも「とにかく中国食品を取り扱わないでほしい」あるいは「今年のおせち料理の中で原材料が中国産の物だけを教えてほしい。それは注文したくないので」などが多いことを披露した。
■私たちは「仕方なく」危険な中国産食品を食べさせられているのか?
私が気になったのは、これらを受けて行われたパネルディスカッションの内容である。コーディネーターを務めた科学ジャーナリストの松永和紀氏が、「第1部の講演で分かったことは、食の安全は検査のみで確保されているのではなく、輸出国・輸入時・国内という3段階の対策によって担保されていることですね」 と確認をした。これに対し厚労省の担当者は「ええ。検査の人員がけっして充分というわけではないので」という受け答えをした。
これは、検査が不十分であるイコール輸入食品の安全性は必ずしも充分ではない、ということを表明したようなものだ。
また、会場からの「中国からの食品輸入を減らすことはできないのか」という質問に「日本の食料自給率は低いので、国産だけではまかなえない」という意味の回答をした。
また、ユーコープのパネリストからも、生協活動の基本方針の一つである「暮らしを守る低価格」ということを考えると中国産食品を扱うことは避けて通れない旨の発言があった。
一見これらは何の問題もないように見えるかもしれないが、これらに共通している問題点がある、それは「中国食品には安全上の問題があるのだが、人員不足、自給率の低さ、経済性など様々な事情で仕方なく食べている」という誤った情報発信になっているということだ。
今回は「輸入食品の安全性確保の取り組み」というリスクコミュニケーションの場なのだから、厚生労働省の担当者(あるいはコーディネーター)が「現在日本国内に流通し、私たちが食べている輸入食品は(ごく特殊なケースを除いて)すべて安全である」ということを、まず明言すべきであった。
事実、輸入食品の安全基準違反率は中国産食品で0.004%ときわめて低い(ちなみに、アメリカ産食品のそれは0.005%。中国産食品よりも高いが、いずれもきわめて安全性は高い、といえる)。
厚生労働省担当者の「人員不足」発言は、この場を利用して「予算確保」をアピールしたかったのだろうか。このような不用意な発言(私はこれを「いきがけの駄賃」発言といっているのだが)が、消費者にぬぐいがたい誤解を植え付ける。当日の参加者の割合が、[事業者6割:行政2割:消費者1割]と、最も参加してほしい(はず)の消費者がきわめて少なかったことが幸いして、誤解の拡散を防いだかもしれない。皮肉にもこれがせめてもの救いだったといえるだろう。
(平成27年2月23日 佐藤達夫)
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